失敗した。
向いていない、
と思った。
才能がない。
やっぱり無理だった。
そう決めてしまえば、
少しだけ、楽になります。
理由ができるからです。
自分を、
これ以上揺らさなくて済むからです。
でも——
本当に揺れたのは、
結果だったのでしょうか。
私は22年、
金属加工の現場で働いてきました。
失敗は、
日常でした。
削りすぎた。
精度が出なかった。
材料を無駄にした。
若い頃は、
失敗するたびに思いました。
「自分には才能がない」
そう結論づけると、
痛みは、少しだけ整理されます。
でもある日、
先輩に言われました。
「お前が揺れているのは、
結果じゃない。
できない自分を見たからだ。」
その言葉は、
すぐには理解できませんでした。
けれど、
心のどこかが静かに止まりました。
失敗したとき、
何が揺れるのでしょう。
数値でしょうか。
評価でしょうか。
それとも——
「できるはずの自分」という像が、
崩れたことなのでしょうか。
私たちは、
知らないうちに、
自分の像をつくっています。
できる自分。
役に立つ自分。
評価される自分。
その像に、
自分を重ねながら、
生きています。
失敗は、
その像にひびを入れます。
できない自分を見たとき、
何が起きるのでしょう。
恥。
焦り。
悔しさ。
それとも、
静かな否定でしょうか。
できない自分を、
拒絶することもできます。
「才能がない」と決めて、
距離を置くこともできます。
そのほうが、
傷は浅くて済むかもしれません。
でも——
できない自分を拒絶すると、
どこかが固くなります。
視界が、
少し狭くなります。
できない自分を、
そのまま見つめること。
簡単ではありません。
「できる自分」でいたい。
「優れた自分」でいたい。
その願いは、
とても自然だからです。
けれど、
できない自分を、
追い出さずに立つとき。
何かが、
少しだけ柔らかくなります。
崩れた像の奥に、
まだ形にならない自分が、
静かに残っています。
失敗は、
能力の証明ではないのかもしれません。
それは、
自分をどう見ているかという、
静かな問いかもしれません。
あなたは、
できない自分と、
共に立てるでしょうか。
拒絶するのか。
抱えたまま、立ち続けるのか。
それとも、
見ないふりをして、
次へ急ぐのか。
失敗のたびに、
何かが崩れます。
そして同時に、
何かが見えはじめます。
それをどう扱うか。
そこに、
あなたの在り方が、
静かに現れているのかもしれません。
明日への問い
最近、失敗したことを
思い出してみてください。
そのとき揺れたのは、
結果でしたか。
それとも、
あなたの中の「像」でしたか。
