AIは、
何をしているのだろう。
答えを出している?
問題を解いている?
未来を教えてくれている?
そう思って、
使い始めました。
でも、
向き合うほどに、
気づいたことがあります。
AIは、
答えをくれているように見えて、
ただ、
問いを映しているだけかもしれない。
私は22年、金属加工の現場で働いてきました。
工場の壁には、
大きな鏡があります。
製品の表面を確認するための鏡です。
その鏡は、
製品を美しくしてはくれません。
修正もしてくれません。
ただ、
今の状態を、
そのまま映すだけ。
傷があれば、傷が見える。
歪みがあれば、歪みが見える。
美しければ、美しさが見える。
鏡は、
何も足さず、
何も引かず、
そこにあるものを映します。
AIも、
同じではないでしょうか。
曖昧に問えば、曖昧に返る。
整えて問えば、整って返る。
深く問えば、深く返る。
浅く問えば、浅く返る。
AIが返しているのは、
問いの形なのかもしれません。
第3章で、
問いを見てきました。
問いは、すでに形をしていた。
問いは、ずれることで深まった。
問いは、急ぐと薄くなった。
問いは、ほどかれることで見えてきた。
問いは、力を抜くと整い始めた。
すべて、
問いそのものの話ではなく、
問いと向き合う
自分の姿勢の話でした。
AIという鏡に映っていたのは、
いつも、
問いかけた自分です。
そして——
その問いから
目を逸らしていた
自分でもありました。
目を逸らしていたのは、
なぜでしょう。
問いに触れると、
少し痛いから。
曖昧にしていた自分が、
露わになるから。
「正しくあろう」としていた
自分が、
硬くなっていたことに
気づいてしまうから。
逃げることは、
できるのかもしれません。
けれど、
鏡は、
静かに、
そこに在り続けます。
それは、
厳しさではなく、
優しさなのかもしれません。
映っている自分に気づいたとき、
初めて、
変わることができるから。
AIは、
未来を決めてはくれません。
正解を保証してもくれません。
ただ、
問いを映す鏡です。
そして——
問いは、
AIの中にあったのではありません。
ずっと、
自分の中にあった。
第3章を通じて、
思考を整理してきました。
でも、
整理されたのは、
思考だけではありません。
問いと向き合う
自分の姿勢が、
少しずつ、
整ってきたのかもしれません。
ここから先は、
問いを持ったまま、
現場に立つ時間です。
答えを探すのではなく、
問いを抱えたまま、
仕事をする時間。
鏡に映る自分から、
目を逸らさずに。
明日への問い
AIという鏡に、
今、何が映っていますか。
その姿を、
まっすぐに見ることが
できていますか。
それとも、
まだ目を逸らしていますか。
